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質問タイトル日本史に城塞都市が登場しなかったのは、『民族殲滅戦争が存在しなかったから』ですか?書籍:史...
質問日本史に城塞都市が登場しなかったのは、『民族殲滅戦争が存在しなかったから』ですか?書籍:史上最強の都市国家ニッポン -逆・日本列島改造論-著者:増田悦佐、三橋貴明P80~82 増田『日本人は、どうしてこんなに幸福だったのだろうか』ということを、つくづく考えたのですが、『都市のあり方だ』という結論に達しました。日本は、都市が高くて厚い城壁に囲まれて、出入りの際は必ず衛兵がチェックするという環境だったことが一度もない世界で唯一の国です。<中略>世界的に狩猟・漁猟経済から、農耕・牧畜経済に発展していく時に、リスク分散のために農耕民と牧畜民が分かれて暮らしていました。しかし、天候不順で2~3年凶作が続いていたりすると問題が生じます。牧畜民のほうは、草がやせ、枯れていったら、今まで侵入しなかった『畑作』をしている場所にまで押しかけて行って、家畜に草を食べさせざるを得ない。一方で、農耕民のほうも今までは耕していなかった牧草地まで耕さざるを得ない。この争いは、結局、民族皆殺し戦争につながるのです。そういうことが現実に何度もあり、その苦い経験から、都市民は厳重な守りを固めた城壁をつくり、そこには不審な人間は一切入れないという閉鎖的な都市社会しか築けなかったのです。ところが日本は違いました。縄文時代から、海の幸も山の幸も豊かで、稲作が入ってくる前も、雑穀などもとれるようになっていました。縄文人は、結構バランスのとれた、健康的で満ち足りた食生活をしていたらしいのです。そのため、農耕民と牧畜民に分かれるというリスク分散をする必要がなく、その結果、民族殲滅戦争のような経験をしたことがないのです。だから、日本の都市は、平安京の場合で言えば、朱雀門や羅生門など、門だけは立派なものをつくるのです。けれども、門の周りには、全然、堀も壁もないから、まったく無意味で、少し回り込めば誰でも出入りができる。そのように、日本というのは、都市が厳重に出入りをチェックする閉鎖空間だったという経験をしないで済んだ本当に幸せな民族なのです。パリなんて、多くの人は絵葉書の写真のようにきれいでよい街だと思っています。しかし、パリ市内は過去何世紀かの間、市内人口は200万人ぐらいを維持して、あとから来た人間を全然入れない閉鎖空間なのです。そして、パリの周辺に住んでいる600万人ぐらいの人たちは、店もないし、ほとんど娯楽施設もない、砂漠みたいなところで暮らしているわけです。ん?中国様には城塞都市が多い?
回答<城塞都市は、敵から守るだけでなく、都市内の「奴隷」が逃げ出さないための囲いという意味の方が大きいと唱えている人もいます。 私は、城塞都市というのは、ギリシャの都市国家を代表するように「都市」単位での細かな政治・独立体制が存在したからと思います。都市が一つの国家のような存在であったので、戦争の結果、敗者の都市の住民は皆殺しか全員奴隷という運命でした。つまり都市同士の融合離散が活発で「国家」という広い地域の統治概念が存在しなかったからです。 一方、日本の場合は、早くに天皇を頂点とする「国家」の意識体制が確立したため、権力闘争による政治対立、地域紛争は起きましたが、都市レベルの政治体制が無かったので城塞を必要としなかったと思います。
回答数1
質問日時2011年03月12日
解決日時2011年03月18日
詳細http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1057473515

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